松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

前園真聖さん

第6回 前園真聖さん

「サッカー人」第6回目は前園真聖さんです。

彼とは昔から本当に仲良くさせてもらっていて、サッカーでもプライベートでも思い出はたくさんありますね。僕のゴールのうち、何点彼からのパスで決めさせてもらったのか分からないぐらいです。つい先日も仕事の終わりに一緒に飲みに行ってきましたが、久しぶりだったのですごく盛り上がりました。

選手時代の彼の特徴は、やっぱり鋭く速いドリブル、決定的なパス、そして高い得点能力。観ている人達をワクワクさせるプレイヤーでしたね。日本人では木村和司さん以来の「10番」だと思います。

残念ながらここ数年、日本人の中で本当の「10番」は現れていないと思う。ヒデも違うし、近いプレイをするのはシュンスケだと思いますが、「10番」とはちょっと違う。もちろんサッカーが変化してきていて「10番」を生み出しにくくなってきてはいますが、現在ではロナウジーニョ(バルセロナ)、トッティ(ローマ)、ルイコスタ(ベンフィカ)等がいますね。「10番」が生まれやすいのは、やはりラテンのサッカーという特徴があると思います。

彼とのたくさんの思い出の中で一番心に残っている事は、アトランタでの事はもちろんですが、その後の事です。99年、共にヨーロッパでプレイをしようと挑戦していて、同時期にヨーロッパにいました。その頃、ゾノはスペイン、ポルトガル等のチームと交渉中でスペインのマドリードにいましたが、なかなか話はまとまりませんでした。そして僕がスイスのチューリッヒFCで練習していたので彼がチューリッヒに来てチームが決まるまでの約2ヶ月間一緒に練習していました。

お互い同じ気持ちで、同じ部屋で生活し、同じグラウンドで練習し、そして何より、気持ちが同じものであったと思います。一日でも早く自分のプレイできる場所が欲しかったし、あんなにサッカーが恋しくなった事はありませんでしたね。この時はいろいろな話をしましたよ。

移籍というのは決して自分の意思だけで決められる事ではありません。自分希望するチームあっても、そこには自分の所属チーム〜受け入れる側のチーム、代理人、スポンサー等の思惑があったり、時には利害関係も絡んでくる。日本では比較的移籍はまとまりやすいですが、海外ともなるとなかなか難しいのです。もちろん状況にもよりますが…。特に日本は島国なので、「それでは行ってきます」というわけにもいかない。

翌年2000年にゾノと湘南ベルマーレでまた一緒にプレイする事になったのです。当時の監督は加藤久さんで、自由にサッカーをさせてくれて楽しかったですよ。共に束縛されてプレイするというのは好きではないし、久さんもそれを理解してやらせてくれました。

お互いのサッカー観、特徴を理解していたので相手を崩していく時はやり易かったです。この感覚ってすごく重要な事で、お互いが何をしたいか、何を求めているか、プレイ中でも分かり合えていたんですね。

例えば世界のオールスターサッカーはどうでしょうか?

観ていて楽しいですし、選手同士が個々の良さを引き出しあっていて選手たちも楽しいと思うんですよ。柱谷哲二さんは出場してみて「本当に楽しかったよ」と言っています。サッカーの醍醐味は「楽しさ」にあると思います。それはプレイしている側、観ている側もそうです。

ゾノがプレイしていた頃はお客さんに対してもチームメートに対してもワクワクさせたプレイヤーだったと思います。

そんな個性のある選手を生み出したいし、選手の持っている可能性を見つけられる、さらに言えば感じられる「指導者」がいなければなりません。このような選手が一人でも多く現れるようになれば日本のサッカーはさらに強くなっていくと思います。特に可能性を秘めた子供には個の持っている特徴を理解して指導しなければいけないと思います。

2007年6月


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