松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

古川昌明さん

第8回 古川昌明さん

今回のサッカー人は、現在川崎フロンターレでゴールキーパーコーチを務めている古川昌明さんについて話しましょう。

古川さんはご存じのように、鹿島アントラーズの黄金時代を支えたゴールキーパーでした。鹿島での活躍が認められて、日本代表にも選ばれたことがあります。

現役時代の古川さんとは直接面識はありませんでした。ただ、古川さんのいた鹿島と試合をした時、“雰囲気”を感じたことを覚えています。 “雰囲気”を正確に説明することは難しいのですが、内面から溢れる強さとでもいえるでしょうか。キーパーとして古川さんは大きな方ではありません。しかし、彼がゴール前にいると大きく見えたのです。

古川さんがそうした雰囲気を持っていたのには理由があります。

本田技研から実質的な戦力外通告を受けた古川さんは、サッカーを諦めきれず退社。退職金を手にサンパウロに渡りました。偶然からサンパウロFCの監督だったテレ・サンターナを知り、サンパウロFCの練習生となりました。そして、Jリーグ開幕前、日本に戻り鹿島のテストを受け合格したのです。彼の歩んできた道は平坦ではありませんでした。だから他の日本人が持っていない雰囲気があったのだと、後から合点がいきました。

古川さんは、現役引退後、コーチ就任の打診があったそうなのですが、「今の自分はコーチとしての引き出しが少ない」と再びブラジルに渡りました。まずは、コリンチャンスでカンタレーリ(元日本代表キーパーコーチ)のアシスタントを務め、その後、ジーコから誘われて彼のクラブCFZのユースチームでキーパーコーチとして経験を積みました。そして、2003年、日本に戻り、川崎フロンターレのキーパーコーチに就任したのです。

今シーズン前、僕はフロンターレの練習を取材する機会がありました。そこで古川さんの練習を見て、僕は驚いたのです。

古川さんの練習メニューはハードではありますが、アイディアに溢れていました。ゴールキーパーの練習というのは、他のポジションと比べてもハードです。選手の自主性を重んじながら、締めるところは締める。古川さんは厳しい練習を楽しくやらせていたのです。

恐らく、古川さんがブラジルで学びたいと思ったのはそういう部分だったのでしょう。

僕はフィールドプレーヤーなので、正直、キーパーのことを良くわかりません。僕は古川さんに様々な質問をぶつけても、彼は嫌な顔一つせず、丁寧に答えてくれました。その答えは、教科書的なものではなく、古川さんの言葉によるわかりやすい説明でした。

古川さんを見ていると南米の選手たちを思い出します。

日本の選手というのは、合宿、遠征で自由行動の時間でも仲間と一緒に行動することが多いものです。僕がチームの泊まっているホテルのロビーにいると、古川さんは良く一人で行動していました。

「どこに行くんですか?」

僕が尋ねると「風呂に行くんだよ、一緒に行く?」と答えました。もちろんみんなと仲が悪いわけではありません。フロンターレは、古川さんをはじめ、コーチ、選手たちがいい関係を保っていました。チーム内の知り合いだけで固まるのではなく、自然体で人と付き合うことができる人だと思ったのです。

自然体でいることは非常に難しいことです。僕が出会った南米の選手たちは、一般的にはどんなに有名でも、自然体の人が多く、偉ぶったりせず、一人の人間として接してくれたのです。

古川さんはブラジルに行く前、こんなことを考えていたそうです。

「川口、楢崎、曽ケ端、高桑、都築、みんなブラジル人が育てたキーパー。日本人のキーパーコーチが育てた選手を自信をもって日本代表に送り出したい」

古川さんの教え子である、川島永嗣選手が代表のキーパーに定着しつつあります。川島選手をはじめとして、次々といいキーパーを古川さんが育てるのではないかと、僕は楽しみにしています。

2007年9月


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