松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

古川昌明さん

第9回 松木安太郎さん

僕は選手として、Jリーグでは磐田と清水、ジェフ、福岡、湘南でプレーしました。

僕にとって心残りなことが一つあるとすれば、ヴェルディでプレーできなかったことでした。

ヴェルディは日本でもっとも歴史のある憧れのクラブでした。僕があの緑のユニフォームを身近に見たのには、94年夏のことでした。この年、僕はウルグアイから帰国して、ジュビロ磐田に加入しました。そこでヴェルディと対戦したのです。
当時のヴェルディは、ラモスさん、都並さん、(柱谷)哲さん、(三浦)カズさん、武田さん、北沢さん、ペレイラ…とにかく錚々たるメンバーが揃っていました。選手のそれぞれに個性があり、他のチームとは全く違った雰囲気でした。

その初めて対戦した試合で、僕は初得点を挙げることができました。そのシーンは今でも覚えています。

トラップしたボールが前に転がり、角度のない場所から、無我夢中で、半ば転びながら左足でシュートを打ちました。起き上がって、ボールがゴールの中にあることを確認して、大喜びしたものでした。

試合は負けてしまったのですが、強いヴェルディを相手に得点を挙げたことは僕の自信になりました。

当時、あの個性の強い集団を束ねていたのが松木安太郎さんです。

松木さんと親しく話をさせてもらうようになったのは、引退後のことでした。松木さんというのは、みなさんがテレビで見ている、その通りの、表裏のない熱い人です。サッカーのことを話し出すと止まらないんです。

僕は松木さんに、一番知りたかったことを率直に尋ねてみました。
「どうやってあれほどアクの強い、スター選手たちをコントロールしてたんですか」
松木さんは少し考えると、力強い口調で答えました。

「僕はごちゃごちゃ言わないんだ。選手たちを信じていたんだね。信じれば彼らは絶対にやっとくれると思っていた。だから選手とのコミュニケーションを大切にしていた」

当時、ヴェルディの選手のほとんどは日本代表に選ばれていました。松木さんは、過密日程になりがちな選手のコンディションをいかに整えるか、心を配っていたそうです。

松木さんと話していて印象的なのは、選手を駒としてでなく、人として扱っていたということです。選手を乗せて、力を引き出すタイプといっていいでしょう。

松木さんは監督として、93年、94年と二年間連続してヴェルディをチャンピオンに導いています。松木さんのそうした能力によるものだと、つくづく思うのです。

98年にジュビロを辞める時、実はヴェルディに行くという話がありました。憧れのヴェルディということで心は動いたのですが、当時の僕は国外のクラブでプレーしたいと考えていました。ヴェルディの方も、センターフォワードが他にも所属していたので、結局、話はまとまりませんでした。そして僕はクロアチアのリエカに向かいました。欧州で経験したことは僕の大きな糧になり、後悔はしていません。ただ、今も、そのことを思い出すと、少しだけ胸が疼くのです。

一度、あの緑色のユニフォームを着てみたかった、と。
現在、松木さんのお父さんが、市川市で松木杯というカップ戦を主催されています。今度、僕たちフェリーチェは参加する予定です。

歴史ある大会、それも元ヴェルディの松木さんの名前のついた大会に出られるということで僕も非常に楽しみにしています。

2007年10月


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