松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

古川昌明さん

第10回 李国秀さん

僕が、李国秀さんときちんと話をしたのは、2005年の日本サッカー協会のB級指導者講習の時でした。

ご存じのように、李国秀さんは、日本を代表する名指導者の一人です。桐蔭高校時代の教え子が元代表の戸田和幸、山田卓也、あるいは林健太郎。ヴェルディを率いていた時代には、現日本代表の全く無名だった、中澤佑二を見いだしました。

それほど実績のある李さんがどうして、僕と同じB級のライセンスを取りに来ているのだろうといぶかしく思いました。かつて、李さんはヴェルディの監督ではありませんでした。Jリーグの指導には「S級」ライセンスが、必要だったので、便宜的に総監督という立場でチームを指導していたことを思い出しました。

李さんに対して、「怖い」「変わっている」…という印象をお持ちの方は多いかもしれません。

それはある程度当たっています。

僕と話をしている途中で、「お前とは話が合うわけはないよね」などと言われました。それだけ聞くと冷たいように思えます。

ただ、李さんの言葉には裏付けがあります。

李さんが僕のことを見たのは、今から10年以上前のことでした。僕が高校三年生の時、僕は静岡県大会の決勝でした。僕はその試合で、“出場一分”で退場になったしまったのです。李さんは、そんな僕を見て「面白い奴だな」と思ったそうです。

李さんは当時、神奈川の桐蔭高校の監督でした。全国大会に出た場合は対戦する可能性はあるにしても、静岡の高校とは直接関係はありません。それでも静岡までわざわざ足を運んで、試合を見ていたことに少し驚きました。

李さんと話していると「サッカー人」という言葉が出てきます。「サッカー人」というのは、このコラムのタイトルにしたように、僕の好きな言葉でもあります。

僕もサッカーの世界で育ち、生きてきた人間で、その意識を強くもっています。李さんも同じでした。

「サッカー人」として、僕を圧倒しながらも様々な話をしてくれました。口から出てくる言葉は強烈で時に厳しいのですが、もっと勉強して、よりよい「サッカー人」になれという、後輩に対する優しさを僕は感じたのです。

そのB級の講習会で僕は印象に残っていることがあります。

講習生たちが、15人程度で一つのチームを作り、その中で監督とコーチを決めて試合を戦うという練習がありました。

講習を受けている中には、僕のようなJリーグ経験者もいますし、そうでない人もいます。様々なレベルの人間を一つのチームとして機能させることが、この練習の目的でした。

李さんと僕は敵チームに別れていました。李さんはチームの“コーチ役”に選ばれていたと思います。最初、僕たちのチームと試合をすると、李さんのチームはばらばらでした。

試合が中断すると、李さんは何かを指示を出しました。

すると…。チームは見違えるように良くなったのです。

その試合が終わった後に、李さんのところに行き、何を指示したのかと尋ねました。すると李さんは悪戯っぽい表情で「何も言っていないよ」と笑ったのです。

李さんの指示がなんだったのか、未だに僕は分かりません。ただ、はっきりとしたのは、李さんはどんなレベルであろうと、試合を見極めて的確な指示を出せる指導者であることでした。

確かに、僕は李さんに比べると、まだ話はあいません。そして、僕が学べば、また李さんも更に先に進んでいることでしょう。一生「お前とは、話は合わないな」と李さんはにやりとするかもしれません。僕にとっては一生背中を追いかける存在の一人であると思っています。

2007年10月


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