松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

ドゥンガさん

第12回 ドゥンガさん

今回は人生で最も大きな影響を受けた人物の一人、ドゥンガの話です。

ジュビロに来たのは、94年のワールドカップの後のことでした。ワールドカップの優勝メンバーそれもキャプテン。世界を代表する名選手である、ドゥンガがジュビロにやってくるという話を聞いた時、はじめは信じられませんでした。それが事実だと分かって、僕は彼と会えるのを楽しみにしていたのです。

実際にジュビロに来た時、僕が感じたのは月並みですが、テレビで見ているのと同じだ、ということでした。ブラジル代表のドゥンガは、ピッチの中でロナウドなど同僚を叱咤激励する印象がありました。ところが、ジュビロに来てしばらくは、そうした厳しさはありませんでした。

ところが…。

一年ぐらいたったころでしょうか、彼の態度が急に厳しくなりました。それまでは、選手やスタッフを観察していたのでしょう。

試合に勝っても怒ったことがありました。

「こんなもので喜んでは駄目だ」

彼の要求は非常に高いことが分かりました。

ピッチの外でも、特に厳しかったことを覚えています。僕が新車の高級車に乗ってきたことがありました。ドゥンガはそれを見ると、怒り始めました。

「お前は何様なんだ。お前はサッカーの中で何をしたんだ」

ドゥンガは陰口をたたきません。直接僕に言います。

サッカーの世界は甘いものではありません。ちょっとした成功で浮かれ、消えていった選手を彼は沢山見てきたのでしょう。だからわざと厳しくしていたのかもしれません。

ピッチの中では、本当に勉強させてもらいました。

「どうして動かないんだ」

彼がボールを持った時、フォワードの僕が動き出さないと大声で怒鳴られました。

「常にポジショニングを考えろ」

「フォワード、攻撃的なミッドフィールダーがボールを持った時だけでなく、ボランチがボールを持ったら動き出せ」

「目を開けてちゃんと見ろ」

「考えろ」

「首を振れ」

今でもドゥンガの仕草が目に浮かびます。

彼は、技術、身体的能力といった面では、決して図抜けた選手ではありません。運動量も少ない。それでも彼が世界的な選手になれたのは、困難に立ち向かい、ベストを尽くして戦ってきたからです。逆に言えば、多少技術や身体的能力に劣っていても。ポールをきちんと止める、蹴る、運ぶということをきちんとできて、周りを良くみて考えることができれば、世界でプレーできるという、お手本でした。

僕はスペイン語が話せることもあって、ドゥンガとはプライベートでも良く一緒に出かけました。ドゥンガの出身地、ブラジルのポルトアレグレはスペイン語圏のウルグアイ、アルゼンチンに近く、彼はスペイン語も理解できたのです。

ピッチの中では厳しいのですが、一緒に飲みに行くといい兄貴分という感じで、様々な話をしました。

ドゥンガの言葉が僕の背中を押してくれたこともありました。

2005年、僕は現役続行するため、プレーするチームを探していました。そんな時に、静岡FCから監督にならないかという話をもらいました。

ゆくゆくは指導者になりたい。ただ、現役選手に対する未練もありました。

そんな時、頭に浮かんだのがドゥンガの言葉でした。

「人生でチャンスは何回も来ない。僕は二回しかないと思っている。それをつかむか、つかまないかはお前次第だ」

もしかしてこれは自分に与えられたチャンスかもしれない。僕は、静岡FCの監督を引き受けることにしました。結果として静岡FCの監督は一年で終わりましたが、指導者として早い時期にいい経験が出来たことは後悔していません。

ドゥンガは現在、ブラジル代表の監督をしています。ロナウジーニョとカカというブラジル代表の二枚看板を抜きで、先日のコパ・アメリカで優勝しました。世界で最もプレッシャーの掛かる職業ともいえる、ブラジル代表の監督として彼は結果を残しつつあります。

今もドゥンガは僕と会うと、きさくに話をして、世界というものを教えてくれます。もっと自分も成長しなければならない。彼と話すといつもそう思うのです。

2007年11月


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