松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

堀池巧さん

第13回 堀池巧さん

静岡県の特徴の一つは、西部、中部、東部と三つの文化圏に別れているところでしょう。昔から、サッカーが最も盛んで強かったのは、中部でした。僕の住んでいた西部の浜松から、武田修宏さんが中部でも屈指の名門である清水東高校に入学しました。武田さんが清水でどのくらいできるのだろうかと、僕たち西部の人間は注目して見ていたのです。

武田さんが清水東高校一年生の時、三年生に全国的に有名な選手が三人いました。いわゆる、「三羽ガラス」、フォワードの長谷川健太さん、中盤の大榎克己さん、ディフェンスの堀池巧さんのことです。武田さんはもちろんですが、さすが清水で有名なだけはあると、三人のプレーは非常に印象深く覚えています。

のちに、僕が東海大一高校に進学すると、フォワードの僕、中盤の伊東輝、ディフェンスの白井とポジションごとに注目選手が三人揃っていたため、清水東高校の「三羽ガラス」をなぞらえて「サンバカ」と呼ばれていたのは笑い話になっています。話を堀池さんに戻しましょう。

三羽ガラスの中でも、堀池さんのことを強く意識したのは、僕が中学生の時のことです。ジュニアユースに選ばれた時、監督だった藤田一郎さんは、その上のカテゴリーであるユース代表も見ていました。

藤田さんはユース代表にいた堀池さんのことを高く買っていたのです。

「堀池のディフェンスはすごいから、ちゃんと見ておけ」

藤田さんは堀池さんのすごさは、「1対1では絶対に負けないことだ」と教えてくれました。実際に見てみると、堀池さんのプレーからは強さを感じました。

身体は僕よりも小さく、ディフェンダーとしてはかなり小柄な部類に入るでしょう。足が突出して速いわけでもない。しかし、クレバーで相手の動きを読んで守っていました。まさに、守備の教科書のような選手でした。

実際に対戦したのは、僕が磐田に入ってからのことでした。静岡出身者は、試合前に挨拶をするという不文律がありました。エスパルスと試合した時に、堀池さんに挨拶をしました。

堀池さんと僕がマッチアップすることはなかったのですが、間近に見て、改めてその凄さを実感したものでした。

その後、清水で同僚となり、親しく話をするようになりました。堀池さんは日本代表として多くの経験を持っています。それを上からの目線ではなく、冗談を交ぜつつ話してくれたことを覚えています。ピッチの外でも、食事にしばしば誘って貰いました。ディフェンスの選手らしく、自分で先頭を切って引っ張っていくというよりも、状況を見て周りをまとめていくという感じでした。

先日、オールスターサッカーで久しぶりにお会いする機会がありました。顔が優しくなっていたことに驚きました。勝負の世界から離れると穏やかな顔になるのかもしれません。

三羽ガラスのうち、指導者の道を進んでいないのは、堀池さんだけです。ただ、堀池さんは指導者に向いていると昔から思っていました。いつかお互い監督同士として、対戦できる日が来ればと思っています。

2007年12月


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