松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

本田泰人さん

第14回 本田泰人さん

中学生の時、テレビで見たある試合のことを良く覚えています。

高校選手権のベスト8で、東海大一高校は帝京高校と対戦したことがありました。前年に東海大一は、ベレーザ(サントス)を中心として選手権に初優勝し、一躍全国で知られるようになりました。翌年のその試合には、ベレーザは卒業していましたが、東海大一にノボリ(沢登正朗)さん、帝京には、磯貝(洋光)さん、森山(泰行)さん、そして今回取り上げさせていただく本田泰人さんという錚々たるメンバーが揃っていました。

緊張感のあるいい試合で、僕はビデオに撮って何回も見直しました。実はこの試合がきっかけで僕は黄色と黒の縦じまのユニフォームの東海大一に進学したいと思い始めましたのです。

本田さんはご存じのように、その後帝京高校からホンダを経て、鹿島アントラーズに入りました。僕とは、Jリーグで何度も対戦したことがあります。

本田さんは、いわゆる“第一ボランチ”の選手で、中盤で守備に走り回り、相手の攻撃の芽をつみ取るという役割でした。とにかく諦めない選手でした。身体は小さいのですが、ハートが強く、ピッチの中では戦う姿勢を全面に押し出していました。

また、エースキラーとして知られており、特に中盤の選手にとっては嫌な存在でした。この選手を押さえると決めたら、徹底的にマークをし続けます。味方が攻撃に回った時には、バランスをとるようにポジショニングを変える…。

味方としては心強い、敵に回すと非常に厄介な選手でした。

フォワードの僕とは、直接マッチアップすることは少なかったのですが、当時、僕のいた磐田と鹿島は2強と呼ばれていました。

鹿島には、本田さんなど他に、ビスマルク、レオナルド、ジョルジーニョ、マジーニョ、アルシンド……歴代、代表クラスの選手が多数いました。

鹿島のスタジアムは観客で一杯になり独特の雰囲気がありました。非常にいいサッカーをする鹿島と、対戦するのをいつも楽しみにしていたものです。

そんな鹿島の黄金時代を支えた本田さんも、昨年現役引退を決めました。日本リーグ時代から通算して、四百試合出場。なかなか達成できる記録ではありません。

先日、引退した本田さんと一緒に子供を教える機会があり、同じチームでプレーをしました。

改めて思ったのは、本田さんはサッカーを非常に良く知っているということでした。例えば、僕が動き出した時に、おとりの動きなのか、本当にボールをもらいたいのか、あうんの呼吸を良く分かってくれました。日本代表にも選ばれた選手ですから、当然なのかもしれませんが、つねに敵と味方の動きをみて、考えていることが見て取れました。

本田さんによると、そうしたことをジーコから口酸っぱく言われたそうです。本田さんがジーコのことを話していると、本当に彼のことを尊敬していて、心と心が結ばれているのだなと感じました。

僕は、日本だけでなく、南米、欧州の数々のクラブでプレーをしたため、一つのクラブで長くいることはありませんでした。鹿島やジーコとの強い繋がりを目の当たりにすると、本田さんのように鹿島という一つのクラブにすべてを捧げたサッカー人生もいいものだと、眩しく、少し羨ましく思ったのでした。

2007年12月


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