松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

セルジオ越後さん

第15回 セルジオ越後さん

先日、23才以下の日本代表が北京五輪出場権を獲得しました。僕たちが、メキシコ五輪ぶりの出場権を獲得したのが、95年のことでした。あれから12年…。

最終予選では苦い思い出があります。アジア一次予選で僕は得点を取り続けており、チームの得点王でした。

ところが、最終予選のイラク戦のことでした。

前半二十分、僕の打ったループシュートは惜しくもゴールポストの横に外れてしまいました。それ以降、僕はシュートを外し続け、試合は一対一の引き分け。僕の得点が入っていれば、勝っていたのに、と悔しく思いながらピッチを後にしました。

僕の中の何かがそれから狂ったのかもしれません。それからしばらく、五輪代表でも所属クラブでも得点が取れないという、長いトンネルに入ってしまったのです。

そのイラク戦の時、解説をしていたのが、セルジオ越後さんでした。

後からビデオを見直すと、セルジオさんは僕がシュートを外し続けるのを叱るよりも、シュートを打てるポジションを取っていたことを褒めてくれていました。セルジオさんは、辛口の印象があったので、意外な感じがしました。

ただ、「世界に出るには、シュートを決めなければならない」という言葉は僕の心に響きました。

セルジオさんと最初にお会いしたのは、僕が十歳の時でした。恐らく、ほとんどのJリーガが体験したように、セルジオさんが少年を教えるために全国を回っていた「さわやかサッカースクール」に僕も参加したのです。

当時は、セルジオさんのような日系人の方は日本にはあまりいませんでした。少し変わった日本語を話す人だなというのが第一印象でした。セルジオさんがボールを持つと…、とにかく巧い。「ブラジル」を生まれて初めて肌で感じた瞬間だったかもしれません。

その後、現役時代には試合会場で顔を見ると挨拶をしましたが、じっくりと話したのは、引退してからのことです。

実際に話してみて思ったのは、セルジオさんはわざと辛口に言っているのだということです。

日本のサッカーのためには誰かが辛口にならなければならない。憎まれることがあっても、自分はその役割を担わなくてはならない。そう考えているようでした。セルジオさんはサッカーのことを愛し、深く考えていました。

三年ほど前、一緒にイベントに参加して、セルジオさんと一緒にサッカーをしました。六十才を越えているのに、相変わらずボール扱いが軟らかくて巧い。口で言うだけでなくて、自分で技を見せられることの強さをつくづく感じました。

ロナウジーニョがよく使うフェイント、「エラシコ」は元々、70年ワールドカップ優勝メンバーのリベリーノが披露したと言われています。ご存じの方も多いでしょうが、コリンチャンス時代、リベリーノにエラシコを伝授したのはセルジオさんでした。元祖エラシコを目の前で見せて貰いました。

セルジオさんを見ていると、サッカーの技術は衰えないことが良く分ります。技術があれば、一生サッカーを楽しむことができます。今、僕がフェリーチェで教えている根本は、そこにあります。

もちろん、生徒たちには素晴らしい選手になって欲しい。そうなれなくても、きちんとした技術を身につけておけば、サッカーという競技を一生楽しむことができます。それが、一生の財産だと思っているのです。

2008年1月


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