松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

高木琢也さん

第16回 高木琢也さん

多くの人と同じように、アジアでの戦いが過酷なものだと知ったのは、93年のワールドカップアジア予選の時のことでした。

最後のイラン戦、ロスタイムに失点、引き分け。日本代表は、ほぼ手中にしていた初めてのワールドカップ出場を逃してしまいました。

いわゆる、ドーハの悲劇です。

あのチームは、ワールドカップ出場は逃しましたが、個性ある魅力的な選手が揃っていました。日本サッカーの進化が一試合、一試合目の前で起こっているようで興奮したことを覚えています。

高木琢也さんはその中の一人でした。

現役時代、高木さんとは何度も対戦しました。とにかく身体の大きな人だなと思っていました。現役を引退し、最近じっくりと話す機会がありました。

昨年、高木さんは監督として、横浜FCをJ2からJ1へ昇格させました。どんな風にチームを勝利に導いたのかと尋ねると、高木さんはにやりと笑いました。

「俺は細かいよ」

話を聞くと、高木さんの大柄な身体からうける印象と違って、かなり細部にまで目を配っていることが分かりました。

一つ例を挙げると、対戦相手の試合は過去五試合のビデオを見て分析。もちろん、選手が混乱しないように、要点だけを高木さんがまとめて伝えていました。

「選手にとって不安が残らないように、自分たちに有利にゲームを運ぶように準備は必要なんだ」

その一つの結晶ともいえるのが、今季J1の開幕戦の横浜Fマリノス戦の勝利でした。Jリーグでも上位に入る力を持つ、マリノスとの戦力の差は圧倒的でした。それでもチャンスをものにして勝つことができたのは、細かな戦力分析の賜物だったでしょう。

しかし…。

その後、横浜FCは勝利を積み重ねることができず、早々にJ2への降格が決まりました。高木さんはシーズン途中で監督を解任…。

僕はこう思うのです。

昨年、J2で横浜FCが昇格すると予想する人はほとんどいませんでした。J2の中で戦力は飛び抜けていたわけでもありません。相手チームを研究することによって、それを乗り越えました。

J1とJ2の違いは、個人の能力の差です。J2は組織で勝つことができますが、J1ではそれは無理。横浜FCはJ2を組織で勝ち上がってきました。昇格して、現有戦力では戦えないことを高木さんは理解していたはずです。だからこそ、久保選手、奥選手などを補強しました。確かに日本人選手の戦力の底上げはできたかもしれません。

ただ、J1、J2を眺めてみれば、結果を残しているチームには、必ず良質な外国人選手が所属しています。残念ながら、横浜FCはその点でも恵まれませんでした。

今、高木さんと話して感じるのは、監督というのは孤独な職業だということです。横浜FC時代には、色々と不満もあったと思います。それを高木さんは口に出すことはなく飲み込みました。

今年、高木さんは休みの日もずっと家に閉じこもっていたのだと笑いながら言いました。チームが結果を残せないので、外に出る気分ではなく、家でずっと次の試合のことを考えていたそうです。監督とはそこまで追い込まれるものなのだと、改めて思いました。

指導者として日本の最高レベルで、経験を積んでいる高木さんの話を聞いていると、確かに辛かったでしょうが、僕は正直、羨ましい気持ちと焦りを感じました。

恐らく、近い将来高木さんは再び、指導者としてJリーグのピッチに戻ることでしょう。僕も将来、同じ舞台に立ってみたい、と思ったのです。

2008年1月


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