松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

三浦泰年さん

第18回 三浦泰年さん

僕が初めて、三浦泰年さんの名前を知ったのは、小学生の時だったと思います。

泰年さんの同級には、大榎克己さん、長谷川健太さん、堀池巧さんのいわゆる“清水三羽がらす”がいました。清水東高校の三人と比べると、全国的な知名度としては劣るかもしれませんでしたが、静岡学園の泰年さんも名前の知られた存在でした。

泰年さんのプレーをじっくりと見たのは、読売クラブの時でした。気持ちの強いプレーをする人だなと思いました。

その後、泰年さんはエスパルスに移籍。僕も磐田からエスパルスに移籍したのですが、泰年さんは入れ違いに出て行ってしまいました。ただ、共通の知り合いがいて、東京でしばしば食事に誘ってもらうようになりました。

ピッチの中の泰年さんは、厳しく、とっつきにくい人かなと思っていたのですが、実際は気さくで様々な話をさせてもらいました。

一緒のクラブでプレーすることが出来たのは、福岡の時です。

その時、発見したのは、気持ちの強さはもちろんですが、足元の技術が非常に高いことでした。さすがに静岡の選手だなと、子供の頃に技術をきちんと学ぶことの重要性を改めて感じました。

とにかく練習から熱い…。

ランニングやウエイトトレーニングでも絶対に手を抜かず、率先して練習をしていました。また、若手には厳しく、手を抜いたプレーをした選手には「帰れ」と叱ったこともありました。若手の将来を考えて、わざと嫌われ役を演じていたのです。

当時の監督だったピッコリよりも、ずっと監督らしいと僕たちは冗談で話していたほどです。それほど、チームの中でリーダーシップのある存在でした。

当時は、ロッカーが隣で、良く二人で出かけたものでした。泰年さんはサントスFCでプレーした経験もあり、ブラジルの話を良く聞きました。とにかくサッカーの話をするのが好きで、時間が経つのが忘れるほどでした。

泰年さんは、いつも頭の中で、サッカーのことを考えていました。サッカーのためにどのようにプライベートを過ごすべきなのか、そのプロ意識の高さには舌を巻いたものです。

2005年シーズン、僕は静岡FCの監督に就任しました。ご存じのように静岡FCのゼネラルマネージャーは、泰年さんの父親の納谷宣雄さんです。引き受ける時に泰年さんと電話で話をしました。

「大変かもしれないけれど、頼む」

当時、僕は監督の経験はありませんでした。年上の泰年さんにすれば、不安だったと思いますが、自分が見に行くと僕がやりにくいと思ったのでしょう、練習に顔を出すことはありませんでした。そうした思いやりを僕は感謝しました。

僕にとってはサッカー人の先輩としてはもちろん、同郷の大切な先輩なのです。現在、Jの現場から泰年さんは離れていますが、いずれ重要な職に就くことは間違いないでしょう。そんな姿を後輩として是非見てみたいと思うのです。

2008年2月


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