松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

パオロ・モンテーロさん

第24回 パオロ・モンテーロさん

実は今回初めて顔を合わせた“友人”でした。友人の名前は、パオロ・モンテーロ――。

もちろん、ユベントスの名ディフェンダーであった彼の名前はずいぶん前から知っていました。一方、彼が僕の存在を知ったのは、一昨年のことだと思います。

当時、彼はユベントスから母国ウルグアイに戻り、ペニャロールでプレーしていました。日本へ移籍はどうだろうか、と知人を通じて僕に相談がありました。結果として、彼が日本でプレーすることは実現しませんでしたが、その時から電話などでの付き合いが始まりました。

そのモンテーロが、6月7日に日産スタジアムで行われた「TAKE ACTION! 2008 『+1 FOOTBALL MATCH』」で来日しました。ユベントス時代、トヨタカップで日本を訪れたこともあり、今回で3回目になるそうです。

日本滞在中、僕は彼に付き添い、様々な場所に連れて行きました。世界のトップディフェンダーであった彼の経験を是非、フェリーチェの子供たちに伝えて欲しいと思っていました。

そして、青山スクールに来てもらいました。当日はあいにく雨。会議室で彼に話をしてもらうことにしました。

彼の父親はリベルタドーレス杯での優勝経験のある選手でした。自然とサッカーを始め、12歳までは地元の小さなクラブでプレーしていたそうです。その後、ナシオナルなどウルグアイの名門クラブのテストを受けたのですが、ことごとく落とされました。最後に受け入れてくれたのが、ペニャロールでした。

ペニャロールから欧州に渡り、イタリアのアタランタで四年、そしてユベントスで9年間プレーしました。

「技術的なことは子供のころ南米で学んだ。欧州で教わったのは、きちんと栄養をとること、筋肉をつけること。戦術を理解すること。どんなに技術を持っていても、戦術を理解できる頭がなければ、欧州ではプレーできないんだ」

ピッチの中で、僕が彼と対戦して感じたのは、“危険察知能力”の高さです。今、マークをすべきなのか、スペースを消すべきなのか、その判断が桁違いに速いのです。彼の身長は僕よりも少し小さく178センチしかありません。大型選手が多く、守備的なセリエAで13年間もプレーできたのは、そうした能力があったからだと肌で感じました。

モンテーロは、セリエAでは“ハードマーカー”として知られていました。TakeAction+1の試合では、大黒選手に得点を決められたことを悔しがっていました。

「本当の試合だったら肘でブロックするから、絶対にあのシュートは決まらない」

彼と話していて感じるのは、やはり基本の重要性です。セリエAで彼が学んだ戦術、身体の使い方、その全てはきちんとした足元の技術の上に成り立っています。そこを身につけないと、上には進めません。

モンテーロはウルグアイ人ですが、長く住んでいたのでイタリアにも住居があります。今度、フェリーチェの選手を連れてイタリアに行きたいね、と僕が言うと彼は「是非手伝わせてくれ」と目配せしました。

近い将来イタリア遠征を企画するかもしれません。期待して待っていてください。

2008年7月


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