松原良香コラム“サッカー人”
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松原良香コラム“サッカー人”

川口能活選手(ジュビロ磐田)

第58回 川口能活選手(ジュビロ磐田)

今回のサッカー人は日本代表のゴールマウスを長く守り続け、今なおジュビロ磐田の守護神として活躍している川口能活選手です。

能活を知ったのは小学生の頃だったかな。
静岡県では清水市が最もサッカーが盛んで、それを能活がいた富士市や俺のいた浜松市が追うような感じだった。
能活は富士市内のチームでプレーしていて、学年は1つ下なんだけど、その時に「上手いゴールキーパーがいるな」って思った。
ユニフォームも派手だった記憶があるよ。
中学生になってから、静岡県選抜で一緒にプレーするようになった。
サッカーはもちろんだけど、ピッチから離れた時もよく連れて出かけたりしたし、静岡県は体育会系の先輩後輩関係もあり、洗濯をやってもらったりすることもあった。

能活は昔から負けず嫌いな性格は人一倍強かったし、喜怒哀楽が激しかった。
負けたらもの凄く悔しがるし、笑うと周りも明るくしてしまうくらいの笑顔だった。
それはプロになってからも日本代表に選ばれていた時も同じだったよ。
そして自分自身に対して非常にストイック。
カズさん(三浦知良選手)が自分のトレーニングに対して厳しいのは有名だけど、能活もそれくらいストイックだよ。
トレーニングはもちろん栄養面などでも妥協を許さず、1分1秒を大切にする姿勢は素晴らしかった。
『自分が良いプレーをするために何をするべきか』ということを常に心がけているし、『キックのスピード、軌道』や『ボールは指の第一関節でシュートストップする。』など、細かいところまで強いこだわりを持っている。
怪我を恐れないし、サッカーに対して常に真っ直ぐな気持ちでいることは本当に尊敬している。

アトランタオリンピックでも数多くの好守で日本を救った。
やはりブラジルに勝利した『マイアミの奇跡』は人々の心に残っているだろう。
しかし、俺の中ではサウジアラビア戦などでみせた、オリンピックアジア予選の素晴らしいプレーの方がブラジル戦よりも心に残っている。

そんな能活もいろんな悩みは抱えていた。
能活がプロ入りしてまだ間もない頃の話。
能活がマリノス、俺がジュビロの選手として戦った日に「辞めたい」と漏らしたことがあった。
当時のマリノスには日本代表の正ゴールキーパーだった松永成立さんというとても高い壁があったのだ。
海外に移籍(イングランド・ポーツマス)した時は本当に嬉しかった。
でもなかなか試合に出場することが出来ずに悩んでいた。
俺は能活に「日本に戻って来い」と言ったんだけど、本人には全くそんな気がなかったんだ。
だけど、しばらくしてから気持ちに整理がついたんだろうね。
日本に戻ってきて、ジュビロに加入した。
まさか俺がいたクラブに能活が入るなんて思ってもみなかったよ。

2010年ワールドカップ南アフリカ大会の日本代表としても選ばれた。
本人もかなり驚いていたよ。
それまで怪我で満足にプレー出来てはいなかったのだけど、岡田監督からまとめ役としてチームキャプテンに指名された。
俺個人としてやっぱりあれだけのプロ意識、パフォーマンスも考えて、一人の選手として呼んで欲しかった。
しかし、能活は与えられた役割をきっちり果たした。
若手も多い代表チームをしっかりまとめていたし、選手からもとても信頼されていたのはやはり能活の人間としての素晴らしさがあったからだろうね。

2011年のJリーグのキックオフカンファレンスで会った時には、体も引き締まっていて、開幕に向けてしっかり準備できているなって思ったよ。
ジュビロが停滞してしまって、今は日本代表のゴールマウスは川島が中心となって守っている。
それでもゴールキーパーは選手寿命の長いポジションだし、これからも日本のトッププレーヤーとして長く続けて欲しい。
またいつか日本代表の守護神としてピッチに立つ姿を見たいよ。

彼こそが日本中に夢や希望、感動を与えられる『真のプロフェッショナル』だからね。

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