松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

納谷義郎さん

第63回 納谷義郎さん

今回のサッカー人は、サッカー王国の静岡県サッカー界では知らない人がいないと言っても過言ではない、納谷義郎さんです。

知っている人も多いかもしれないけど、三浦知良選手(カズさん)、泰年さん(ヤスさん)兄弟のサッカーのルーツは義郎さんにあり、二人の基礎を築いた人物。
他にも影響を受けた選手や指導者は多いんじゃないかな。

俺が義郎さんと初めて会ったのは、静岡県高校選抜がブラジル遠征に行くときの説明会だったと思う。
言葉は悪いけど「ヤクザみたいな人だな」というのが正直な第一印象だった。
口調も「早く片付けろぉ!」「荷物運べっ!」とちょっと恐い感じ。
『一体、あの人は何者なんだろう?』と思ったよ。
俺も昔はヤンチャだったから、時には先生のことをからかったりもしたけど、義郎さんには絶対にそんなことは出来なかったね。

義郎さんは毎回ワールドカップを現地で見ている。
1978年のアルゼンチン大会くらいから、必ず生で見ているんだ。
当時はまだ日本でサッカーはそこまで熱くなかった。
だけど、そんな義郎さんの影響があって、カズさんもヤスさんも「ワールドカップに出ることが夢」となったんだよね。
二人が出した本にも義郎さんは出てくる。それだけサッカーに関わる人としても、人間としても義郎さんのことを慕っているんだ。
義郎さんはサッカーをよく知っているし、サッカーに対する意識や情熱というのは本当にもの凄い。
だから静岡というサッカーに熱い土地の育成部門でもトップなんだよね。

俺が初めて義郎さんに教えてもらったのは2005年に東海社会人1部リーグに所属する静岡FCの監督になった時で、総監督が義郎さんだった。
印象に残っているのは俺がやりやすい環境をつくってくれて、好きなようにやらせてくれたこと。
練習場とかには来なかったけど、『指導者とはこういうものだ』、『サッカーとはこういうことだ』というものを教えてくれた。
考え方にブレがないから、何事も徹底するんだ。

一番の思い出は、全国社会人大会の決勝トーナメント。
これはJFLに昇格するための本当に大変な戦い。
その大事な試合で、前半1点取られてしまった。
すると、静岡FCのゼネラルマネージャーだった納谷宣雄さんが、ハーフタイムになると観戦していたピッチの反対側からピッチを横断してベンチにやってきて「良香!あいつとあいつを代えろ。あれじゃダメだ!」とみんなの前で言ったんだ。
俺も『代えなきゃいけないかな』と思った。
すると義郎さんは「ノブちゃん!良香のやりたいようにしてやれよ!」と言ってくれたんだ。
そこから宣雄さんと義郎さんの言い争いになっちゃったんだけど、結局俺の好きなようにやらせてくれた。
結果は負けてしまい、上には進めなかった。
“JFLに昇格することがすべて”でやってきたから、義郎さんと宣雄さんには申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいだった。

それと、とにかくフットワークが軽い。
いろんなところでサッカーを見ているからね。
この前も偶然、仕事で北海道に来ていた義郎さんに会った。
ホテルで朝食をとろうと思ったら、同じレストランでバッタリ会って、一緒にご飯を食べた。
たまに電話で話すけど、久しぶりに会っていろんな話が出来た。
「この前はコパ・アメリカを見て来て、その後はイタリアでサッカーを見てきた」、「明日から静岡県選抜をシンガポールに連れて行くんだ」と言っていたが、『本当にあちこち回っていろんなサッカーを見て勉強しているんだな。』と感じたよ。

カズさんは今もなお現役としてプレーし、みんなに愛されている。
真のプロフェッショナルプレーヤーだよね。
ヤスさんも前評判の低かったギラヴァンツ北九州を率いながらJ2で大健闘している。
それもルーツはやはり義郎さんにある。
小・中学生の時に義郎さんから学んだことが今でも活かされているんじゃないかな。

俺も義郎さんとは育成年代について話をする。
ただ厳しいだけじゃない。
義郎さんと話をしているとサッカーの奥深さを感じ、自分の力の無さを感じる。
静岡のサッカーを作り上げてきた義郎さん。
これからもいろいろ教えてください!

義郎さん、また静岡に行きます!これからも宜しくお願いします。

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