松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

松原真也さん

第70回 松原真也さん

今回のサッカー人は、俺がサッカーを始めたきっかけの兄の松原真也です。

プロサッカー選手としてもプレーし、今ではいろんな形でサッカーに携わり続けている俺だけど、兄がサッカーをしていなかったら俺もサッカーをやっていなかったかもしれない。
サッカーを始めたきっかけは兄だった。兄の応援に行ったのが俺とサッカーの出会いで、兄が小学4年、俺が1年生のとき。
それから何度も兄の応援に行って、3年生で俺はサッカーを始めた。
兄は6年生ながら左右どちらの足でもボールが蹴れて、どのポジションも出来た。
それに県大会に出場する強いチームにいたこともあって「キャプテン」の兄に憧れていたし、兄の背中をずっと見て育ってきた。
そういえば大事な試合で兄の友達の家に一緒に泊まりに行くはずが、兄が骨折してしまって俺だけ泊まったということもあった。
実はその家には俺の好きな子もいたんだけど・・・その話は置いておこう。
3つ年齢が離れていたので、一緒にボールを蹴るということはあまりなかったけど、兄から「上手くなりたければ練習しろ」とずっと言われていたのは覚えている。

兄は中学になると辺りではちょっと有名なワルになっていて、その頃はなかなか話しも出来なかった。
そんな兄が高校2年のときにアルゼンチンに行ってしまった。
1986年のワールドカップで優勝したアルゼンチン。そんなすごい国でプロ契約を果たした。
兄が帰国した時は「カッコイイ」「俺もプロになりたい」と強く思った。
「俺もアルゼンチンに行きたい」と言ったこともあったけど、周りに反対された。
帰国した兄は清水エスパルスに入団。
俺もジュビロ磐田にいたので、当時は珍しい『兄弟Jリーガー』だった。
サテライトリーグで対戦したこともあった。
兄は約3年で引退し、エスパルスでチームメイトだったゴメスのサッカースクールのアシスタントになり、その後自分でサッカースクールを立ち上げた。

今はよく電話で話をするし、月に一度は必ず会っていろんな話をしている。
その時に感じるのは「兄は根っからの静岡の人間」ということ。
静岡は他の地域に比べてサッカーの歴史があり、皆こだわり・プライドを持っていて、サッカーに費やす時間も多い。
そんな環境の中で浜松FCを立ち上げたり、県のサッカー協会から仕事や、役職を依頼されたりするのは、兄が静岡のサッカーに長く携わってきて多くの信頼や期待があるからなんだと思う。

昔はちょっと頑固なところもあったけど、今はちょっと丸くなった。
俺の話に耳を傾けてくれたり、柔軟性が出てきて、以前と違ってデスクワークなんかもするようになった。
ここ5年くらいはやや腰が重かったんだけど、最近はまた行動的になったようにも感じる。
普段は明るく冗談も言うし、キレイ好き。
物事をハッキリ言うところ、多少時間にルーズな南米気質なところ、短気で個性が強いのは昔のまま。
でももう若くないのだから暴飲暴食は控えて、家族のためにも健康には気を遣って欲しい。
また、兄には3人の息子がいるが、プロ選手を目指してサッカーをしている。
同じ親としてプロを目指している息子を持っているなんて羨ましいね。

「サッカーとの出会い」「海外挑戦」「サッカースクールの経営」「世界と仕事」
この全てを兄が先にやってきた。その兄がいるからこそ、今の俺がいて、FELICEがある。
俺は「いずれは静岡で一緒に仕事がしたい」と思っている。
でも兄は将来、海外での指導者活動も目指しているようなので、その夢に向けて頑張って欲しい。
家族の幸せが自分の幸せ。唯一の兄弟である兄が幸せになることを俺も望んでいる。
いつまでも兄弟仲良くやっていきたいし、これからもどんどんアドバイスをして欲しい。
日本や静岡のサッカー発展のために一緒に頑張っていきたいので、これからもよろしく!
そして、いつもありがとう!

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