松原良香コラム“サッカー人”

松原良香コラム“サッカー人”

田中誠さん

第71回 田中誠さん

今回のサッカー人は、日本代表でも活躍し、昨年現役を引退した田中誠さん(以下、マコ)です。

俺は静岡の東海大一高の出身だけど、マコは同じく強豪高校である清水商の出身。
1歳年下のマコはヨシカツ(川口能活)などと共に高校3年次に選手権で優勝を果たしている。
俺はその年にウルグアイでプレーしていたので、あまりよく知らなかった。
そして1994年に高校を卒業したマコとジュビロへ同期入団をした。
同じ年にはダイスケ(奥大介)も加入している。
3人でよく一緒に出掛けたり遊んだことが多かった。
当時マコの車は格好良い緑のチェロキーで、いつもその車で練習場へ行っていたし、よく乗り回していたね。

俺は多くのチームでプレーしてきたけど、対照的にマコはジュビロ一筋で15年間レギュラーとして活躍した。
2008年末にジュビロから「選手としてではなく、スタッフとして残ってほしい」と言われたけど、まだまだ現役として戦える力があったマコは篠田監督が率いるアビスパ福岡に移籍した。
若手DFの多いアビスパではジュビロでの経験を如何なく発揮していた。
フォワードだと得点チャンスに敏感で鼻が利く選手はいるけど、マコはその逆で『どこにいればボールが奪える』というのを流れの中で感じることが出来、プレーを読む力は人一倍長けていたように思う。
ラインコントロールも上手くて、ただ受け身の守備をするのではなく、自分が主導権を握って相手と駆け引き出来る選手だったね。
デビューした頃に比べたら筋力的な部分も凄く成長した。
フィジカルの強さやスピードを前面に押し出すプレーヤーではないけど、かなりしっかりした身体をしているんだ。
ジュビロ、アビスパ、日本代表と所属ごとに3バックの中央や右、4バックのセンターとどこをやっても高いレベルでプレー出来る守備のスペシャリストだね。
マコって実は、全日本少年サッカー大会の得点王にもなったことがあるんだって!
ジュビロでは攻撃陣が強力だったから守備に専念していたかもしれないけど、前でプレーしていたらもっと点取っていたかもね。

そんなマコは怪我との戦いも多かった。
95年のワールドユースでは守備の中核を担っていたが、負傷により本大会は棒に振ってしまい、アトランタオリンピック本大会の2試合目ナイジェリア戦でも負傷で途中交代になってしまった。
日本代表の監督が加茂さんだった頃にも招集されたが、怪我で辞退となってしまった。
それから最も残念だったのはやはり2006年ワールドカップドイツ大会の直前合宿での怪我。
それまでストッパーとして安定したプレーを見せていたので、直前でメンバーから外れてしまったのは残念だったと思う。

昨年で現役を引退。
第2のサッカー人生をスタートさせた。
「これからどうしていくの?」と聞くと、マコは「指導者の道を進んでいきたい」と言った。
「解説をしたり、いろんな取材をして指導者としての幅を広げたい」と言っていた。
Jクラブからも指導者としての話は打診されていたみたいだけど、いろんな環境でチャレンジするために敢えてフリーになったとのこと。
先日も青森で一緒にサッカークリニックに行った際にいろんな話をしたけど、謙虚でひたむきな姿勢は変わらない。
あれだけの経験をしてきた人間だから、たくさんの選手にこれまで得てきたことを伝えてほしい。

時間の合うときには毎月新横浜で行っている『FC Infinitos』(サッカーの試合)にも参加してくれる。
この前は俺がマコにバックパスをしたら、マコがコントロールミスをしちゃって相手に奪われて失点しちゃったんだよね。
だからまだレギュラーではないんだ(笑)
というのは冗談だけど、最近はまた会う機会が増えた。
昔と変わらず本当にいい奴で一緒にいると本当に面白い。
武田(修宏)さんのような面白さとはちょっと違う。
根は純粋で真面目だけど、お茶目で子供っぽさもあるところは今も昔も変わらない。
よく冗談も言うし、そのギャップがたまらないね。

これからも一?緒にサッカーをやるけど、今度は現役当時のような安定感のあるプレーを頼むよ!

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