松原良香コラム“サッカー人”

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特別編 No.2 呂比須ワグナー

特別編 No.2 呂比須ワグナー

今年三月のブラジル遠征でもっとも世話になったのが、元日本代表の呂比須ワグナーです。彼がいるから、ブラジルを目的地に選んだと言ってもいい程でした。この時、彼はパウリスタFCのコーチを務めていました。

パウリスタといっても、サンパウロFC、フラメンゴなどと比べると、日本の人には馴染みが薄いかもしれません。ただ、近年は、クラブチーム南米一を決めるリベルタドーレス杯にも参加。サンパウロ州の中でも注目されているクラブの一つです。

呂比須と僕の付き合いは、2001年に福岡でプレーしていた時から始まりました。僕が怪我をして、手術を受けることになったので、フォワードが手薄になってしまいました。そこで、彼が移籍してきたのです。

彼は98年のフランスW杯に出場している選手です。初めて見た時から、他の選手とはレベルが違うと思いました。彼のことを一言で表現するならば、プロフェッショナル。左右の足が使えて、ヘディングも上手い。シュートはもちろん、パスもできる。存在感のある万能形のストライカーでした。特にペナルティエリアの中の強さは特筆するものがありました。ピッチに入ると、実際よりも大きく見える選手でした。また、ピッチの中のパフォーマンスの高さはもちろんですが、ピッチの外での立ち振る舞いが紳士でした。

彼とはすぐにうち解けて、当時福岡にいたアルゼンチン人のビスコンティと三人で連れ立って良く食事に行きました。スペイン語、ポルトガル語、日本語を交ぜながら、サッカーの話を熱く語ったものです。呂比須は、現役を終えたら、大学に行ってサッカーをもっと学びたいのだと言っていました。そうした意識の高い選手が日本人にはいなかったので、驚いたことを覚えてします。

彼の意識の高さは、彼の育ってきた道と大きく関係があります。呂比須は貧しい家庭で育ちました。生まれ育った場所は治安が悪く、目の前で人が殺されるのを見たこともあるそうです。彼は、サッカー選手になったことで、その環境から抜け出すことができました。彼は、自分を救ってくれたサッカーに恩返しをしたいと良く語っていたものです。

その後、僕たちは電話で連絡を取り合っていました。再会したのは、ドイツW杯の時でした。日本に彼が解説の仕事で来ていたのです。呂比須は、パウリスタでコーチをしており、チームがどんどん強くなっていることを知りました。呂比須もコーチとして成長していることを知りました。そこで、フェリーチェの遠征のコーディネートを頼んだのです。

最近、彼は、体調を崩して、パウリスタのコーチを自ら辞任しました。今は、身体を治すことに専念しています。また、元気になった彼と会うことを、僕は楽しみにしています。

2007年3月


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