松原良香コラム mano a mano
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松原良香コラム mano a mano

松原良香コラム mano a mano

第6回 田崎健太さん
ノンフィクション作家。
近著に、「偶然完全 勝新太郎伝」(講談社)。「W杯に群がる男たち」(新潮文庫)など。

田崎健太さん
今回登場していただく田崎健太さんは、10年来の知人です。
初めてお会いしたのは、ブラジルのグアラチンゲタという街でした。日本から遠く離れた海外で、それも大都市ではない街で日本人を見かけると、それだけで特別な感情が沸き上がるものです。
でも、田崎さんは違ったんですね。東京で知り合いと会うかのような、何というか力みのない空気を醸し出していました。お互いにすうっと近寄って、打ち解けていたような記憶があります。
改めて話をうかがっていくと、驚きの出会いも納得です。

松原 最初にあったのは、確か10年前ですよね。

田崎 写真を調べてみたら、2002年の10月にブラジルのグアラチンゲダで会っていたよ。

松原 グアラチンゲタかあ、懐かしいですねえ。ええっ、こんな出会いがあるんだっていうのが僕の第一印象でした。こんなところまで、わざわざ来る人がいるんだって。しかも田崎さん、ブラジル人かのように、周囲に溶け込んでいましたよね。田崎さんって、どうやってポルトガル語を覚えたんですか?

田崎 最初はポルトガル語じゃなくてスペイン語だったんだ。NHKラジオ講座でスペイン語を勉強していた。本当に覚えたのは、1999年の6月から1年間、務めていた出版社を休んで南米を廻ってから。最初の半年間はサンパウロに半年いて、そこからバスと船で南米をすべてまわった。地図で言うとブラジルから上へ上がっていって、フランス領ギアナ、スリナム、旧イギリス領のガイアナ、ベネズエラ、コロンビア、エクアドルと降りていって、ウシュアイアっていうアルゼンチンの南極に一番近いところまで。そこから、サンパウロへ戻ったんだ。言葉も覚えていたし、南米特有の雰囲気にも馴染んでいたから、僕が溶け込んでいるように見えたんじゃないかな。南米の人たちって、自分が構えなければ何も言わずに受け入れるようなところがあるでしょう。

松原 それだけ移動すると、お金もかなり必要だったのでは?

田崎 実はそんなにかかってないかな。サンパウロのアパートは知人から借りていたので、家賃はかかっていない。旅をしていたときもだいたい泊まっていたのは一泊10ドルぐらい。高くても30ドル前後だったと思う。エクアドルでは一泊3、4ドルのところに泊まって、一日10ドルもあれば過ごせた。ペルーは日本大使館公邸事件で取材に行ったので、現地に友だちがいた。トータルすると、1年間で100万円ぐらいだね。軽自動車を買うのと同じくらい。それぐらいのお金は自分に投資というか、自分に金を使うべきだとためていた。

松原 それにしても、どうして南米に?

田崎 もともとラテンアメリカ文学が好きで、有名なところだとコロンビアのガルシア=マルケスとか、ジョルジ・アマードというブラジルの作家とか、バリガス・リョサっていうノーベル文学賞を取ったペルーの作家が好きだった。彼らの本を読むと、自分がまったく知らない世界がある。このスケールの大きさは何だろう、どうしても行ってみたいと思っていた。

松原 1年間休職して南米へ行くことについて、周囲の反応はどうだったんですか?

田崎 そりゃ、冷たい目だったね。(笑)でも関係なかった。とにかく週刊誌から離れたかったんだ。

松原 それはなぜ?

田崎 一番の大きな理由は、去年出した『偶然完全 勝新太郎伝』という本に書いたけど、勝新太郎さんについて自分の本意ではない記事を出すことになったこと。でも、その以前からずっと違和感はあった。週刊誌をやっていると、今週はサッカーで翌週は政治とか、どうしてもその場かぎりの記事が多い。最初はそれでも楽しかった。色々なジャンルの人に会えるからね。ぱっと思い出すだけでも、テリー伊藤さん、小沢一郎さん、サッカー界ならジーコ、川淵三郎さんとか。すごい人たち会えるんだけど、薄っぺらい記事しか書けない自分が段々嫌になってきた。ヨシカとは今年で10年目になるけど、こういう関係にならないと取材対象者もホントのことを話してくれないじゃない?そうだよね。

松原 ええ、まあ。(苦笑い)

田崎 週刊誌の取材に限界を感じたから、そこで会社を辞めても良かったんだけど、まだ30歳前だったからね。ひとりでやっていける自信はなかった。ただ、週刊誌はもうやりたくないので、1年間休むという選択をしたんだ。

松原 南米から帰国して、すぐに退職したんですか?

田崎 帰って来て1年間ぐらい働いたあとだね。たぶんヨシカは分かってくれると思うけど、海外で1年ぐらい生活すると、何がおこっても生活できるだろうという裏付けのない自信が出てくるでしょう?

松原 ああそれ、分かります。

田崎 物書きとしてやっていけるんじゃないかなと思ったんだよね。楽観的なところもあったし。

松原 独立当初は大変でしたか?

田崎 それはやっぱり。会社を辞めた途端、年賀状が3分の1に減った。田崎健太というひとりの人間と付き合ってくれていたんじゃなく、小学館の田崎と付き合ってきた人がそれだけ多かった、とまざまざと感じた。その時に年賀状をやり取りをしてくれた人たちが独立したばかりの頃、助けてくれた。これは嬉しいことだよ。

松原 田崎さんは色々なジャンルについて書きますよね。サッカーあり、野球あり、政治あり、といった感じで。

田崎 そもそも作家にジャンルはないと考えているんだ。興味があるから書くだけ。やっぱり面白い人が好き。ジャンルというより人ありきで、書きたいと思う分野の人について一生懸命勉強する。

松原 早稲田大学の講師もやっていますよね?

田崎 日本サッカー協会にいた平田竹男さんが早稲田大学の客員教授として、スポーツマネジメントを教えていた。その流れでスポーツジャーナリズムの講座を立ち上げる時に声を掛けられたんだ。それが7年ぐらい前だね。前期は300人ぐらいの大教室で教えて、後期はゼミ形式で10人から20人ぐらいの生徒がいる。

松原 田崎さんは面倒見がいいですから、学生相手の講師は合っているなあと思うんです。兄貴分みたいでしょう? 僕のことも、いつも気にしてくれているし。団野村さんも、田崎さんの紹介で知り合いになりましたからね。

田崎 それは、ヨシカの人付き合いがちゃんとしているからだよ。僕自身は勝新太郎さんにすごく色々なことを教えてもらって、色々な人を紹介してもらった。勝さんだけでなく、作家の戸井十月さんや一志治夫さんたち、年齢が上の方からアドバイスをもらったり、人を紹介してもらったりしてきた。自分がやってもらったことを、年齢が下の人に返すのは当然でしょ。もちろん、好きな人にしかやらないけど(笑)。

松原 田崎さんの一年間のスケジュールは、およそどんな感じですか? 日本を留守にすることが多いですよね?

田崎 大学の授業があるので、行けるタイミングは限られるんだよね。3月と夏は、1か月ずつぐらいいないかな。今年の夏はアメリカのロスと東海岸、バージニア州のリッチモンドに、合わせて3週間ぐらい滞在した。ロスではLAギャラクシーとレアル・マドリーの試合を観た。力の差は歴然としたゲームだったんだけど、レアルはフルメンバーなんだよね。そう考えると、日本は悲しいなと思ったんだ。

松原 何が悲しいのか早く聞きたい! ……ですが、続きは次回としましょう。

スポーツライター 戸塚啓


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