松原良香コラム mano a mano
松原良香オフィシャルサイトTOPページ > 松原良香コラム "mano a mano"

松原良香コラム mano a mano

松原良香コラム mano a mano

第7回 田崎健太さんA

田崎健太さん
田崎さんの経歴をお聞きした第1回では、人間的な逞しさを感じました。
単身で南米を渡り歩くなんて、なかなかできることじゃないですから。
お互いに会話のエンジンが上がってきた第2回目は、田崎さんが今夏に訪れたロサンゼルスでのトピックスから──。

松原 ロサンゼルス・ギャラクシー対レアル・マドリーの親善試合を観て悲しさを覚えた、というところで前回は終わりました。いったい何がそんな感情を呼び起こしたんですか?

田崎 ヨシカが現役でプレーしていた当時は、欧州、南米、世界のトップクラブが日本に来たでしょう? 世界的なプレーヤーを目の前にして、日本人選手は成長していったところがあると思う。

松原 間違いないですね。

田崎 いまのJリーグに、ワールドクラスの選手はいない。プレシーズンの親善試合に、世界的な強豪は来ない。香川真司が所属していても、マンチェスター・ユナイテッドはプレシーズンマッチで日本を素通りして、中国へ行った。ギャラクシーはロビーキーンとベッカムだけと言っていいチームだけど、レアルにはカカー、クリスティアーノ・ロナウド、ベンゼマ、エジルなんかがいる。そういう選手たちを観る子どもの心には、何かが残るよね。色々なチーム、夢のあるチームを、もっと呼んでほしいんだ。

松原 それはありますねえ……。ところで、色々な国を見てきて、気に入った国はどこですか?

田崎 一番はやはりブラジルかな。仕事のときはいつもMPB(ブラジル音楽)を聴いているし。サンパウロとかリオに行くだけだと飽きちゃうんだけど、ブラジルは田舎に行くと文化が変わるんだよね。広大なアマゾンなんて、まったく違う国みたいな感じがする。サルバドールも。そういうところに行くと、自分の知らなかった世界がたくさんある。だから、飽きない。あとはフランスかな。パリは色々な意味で綺麗だし、文化の街だし、都市によって文化が違う。モンペリエとかニームは、まったく違った文化があって好きだね。欧州でも南の方が親和性がある。スペインのバルセロナも好きな街。

松原 住むとしたら?

田崎 お金がどれぐらいあるかによるけど、あるならリオがいい。適当なお金なら、ロスがいいかも。気候もいいし。

松原 なるほどね。物書きとして仕事をするなかで、どうして世界へ目を向けるようになったんですか?

田崎 子どもの頃から外国には行きたいと思っていた。父親が医者でアフリカとかにも行っていたのも影響としてあったのかもしれない。ただ日本はもちろん好きだよ。友だちもいるし。ただ、ずっといるとウズウズしちゃう。

松原 今後はどこか行きたいとかあるんですか?

田崎 いま考えているのはアフリカ行き。3か月ぐらい休んで一周したい。自分のなかでは、色々な意味でアフリカが最後かな。

松原 どうしてアフリカが残ったんでしょう?

田崎 南米はスペイン語とポルトガル語で何とかなるけど、アフリカはフランス語と英語がメインの共通言語でしょう。だからいま、フランス語を勉強しているんだけど。

松原 アフリカですか……。

田崎 ときにはまったく知らないところへ行かないと、生き物≠ニしての大事なモノを失う気がするんだ。サンパウロとかロスには友だちもいるので、感覚的に東京と変わらない。距離的に遠いだけで。でも、まったく知らない街へいって、自分で友だちを作って美味しい店を探してというサバイバルをできるようにしておかないと、感覚が鈍る怖さがあるんだよ。

松原 うん、それは僕も感じます。

田崎 あとは人に話を聞くときに、こっちが何者かというのも大きい。自分が色々なことを知っていて、面白い人間でいないと、面白い話は引き出せない。自分のほうが器を大きくしておかないと。
?
松原 田崎さんと話していると、いつも面白いなあと思っていたんです。こうやって色々なことを聞いて、謎が解けましたよ。なるほど、そういうことなんだって。

田崎 オレは自分が知らないことを自覚しているから、努力はしている。色々な本を読むし。

松原 僕はいま子どもたちにサッカーを教えているんですけど、日本の将来を担う彼らに何か伝えたいことはありますか?

田崎 オレがヨシカに育ててほしいのは、リスクをとるのを恐れない子どもなんだ。サッカーで言えば、自分でシュートを打つ。ゴール狙えるヤツだよね。人生もそう。他人任せじゃなくて、自分でリスクを背負っても決断していく。そういう子どもを育ててほしいと思う。

松原 僕もまったく同じ意見なんですが、残念ながら指導者がそこを理解していないと難しいんですよ。教える側の仕組み作りが大変で。

田崎 ヨシカは海外でプレーしてきたよね。それは、得点を決められないと認められない、自己主張をしないといけない、日本人にとっては特別な経験だと思う。でも、日本社会はどうも〈ことなかれ〉がよくて、それがサッカーにも持ち込まれている気がする。逆にサッカー界から、自己主張しながら他者と強調する子どもを作ってほしいと思う。

松原 僕もやっていて思うんですが、日本の社会は出る杭を打つ。そうじゃなくて、出たらどんどん応援してあげるようにしたい。僕ね、ウチのスタッフが自分でチャレンジしたければ止めませんよ。その人の人生ですから。世界に飛び出していくインターナショナルな子どもを、育てたいなあ。自分で考えてチャレンジして、取り組んでいける子どもを。一番やりたいことですよ。

田崎 プロとアマの差ってあるよね。うまいアマはたくさんいるけど、うまいアマと下手なプロはやっぱり違う。プロはプロなんだ。プロは必要なことを分かっている。フランスでジェロームという選手と知り合った。彼は決して巧くないけど、賢くていい選手。戦える選手と言ってもいいかな。フランスはそうした選手をきちんと認めている。だから強いんだと思った。

松原 そういう評価基準を持てていない人、日本には少なくないんですよね。

田崎 ヨシカなら分かるだろうけど、チームには色々な選手が必要でしょう。全員がメッシじゃ成立しないわけで。個人的にはね、先発メンバーは背番号1から11を着けてほしい。ほら、ブラジルは10番なら何をするか分かるでしょう。9番はストライカーだし。

松原 あいつ、どこのポジションと聞くと、「8番だよ」とか。それで会話が成立します。

田崎 ブラジルの子どもは、ユニホームを貰った瞬間にその組織で何をするのかが分かる。番号で理解できる。番号が違ったら、また違う役割ができる。それがサッカーの面白さ。ヨシカが9番しか着けたくないのも、良く分かるよ(笑)。

松原 僕も引退して、視野が拡がりました(笑)。現役でプレーしていた当時は分からなかったけど、当時から広い視野で物事をとらえていた選手は成功していますね。ヒデなんてまさにそう。彼は10年前からいまと同じようなメンタリティだった。変わってないんです。僕に見えないことが当時から見えていて、自分の道を進んでいった。

田崎 ヨシカはさ、ちょっと生まれてくるのが早かったかもね。早かったからいまのヨシカなのかもしれないけど……。いまヨーロッパへ行っている選手は、チャレンジャーじゃないよね。あれは移籍だから。ヨシカのときはチャレンジだった。世界への道を切り開こうというヤツらが、アトランタ世代だったと思う。それがサッカー界全体の活力になっていまがある。選手の評価としては、あの世代はチャレンジで消耗しちゃったところはあるかもしれないけど。

松原 引退してこういう仕事をしていると、現場を強くするだけじゃ勝てないなあと、すごく思います。サッカー界を支えているところのマネジメントが、しっかりしていないと。

田崎 大学(※早稲田大学で『スポーツジャーナリズム論』を担当)で教えていると、ちょっとしたことで人間は変わるんだなあって感じる。「この子は大丈夫かなあ」という1年生が、どんどん変わっていったりするんだ。人の可能性を掘り起こす意味では、育成に関わるのはいいことだと思うね。

松原 まあでも、出会いから約10年、ホントに色々なことを教えてもらいました。これからもよろしくお願いします。

田崎 こちらこそ。大丈夫だったかな、こんな話で(苦笑)。

松原 楽しいお話が聞けました! どうもありがとうございました。

海外へ出ていくと、自分に足りないものを痛感する。なぜ足りないのか、なぜできないのかを突き詰めていくと、「日本人の自分」に行き着く。田崎さんの国際感覚には、納得させられることばかりだった。
でも、僕は日本人の可能性を否定するつもりはないし、日本人だってできると思っている。僕らFELICEが育てた選手が、世界で活躍する日が来るのを信じている。

スポーツライター 戸塚啓


▲PAGE TOP


FELICE(フェリーチェ)サッカースクール&F.C.   ターキッシュエアライン   adidas アディダス   財団法人 日本サッカー協会   JリーグOB会   一般財団法人 TAKE ACTION FOUNDATION
Copyright (C) 2005-2014 サッカースクール&イベントコーディネート FELICE All Right Reserved.