松原良香コラム mano a mano
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松原良香コラム mano a mano

松原良香コラム mano a mano

第10回 田辺貴士さん@
株式会社マルマサ水産代表取締役
株式会社G.T.C代表取締役

田辺貴士さん
今回は僕の25年の仲間で、高校1年生からの同級生である田辺貴士さんです。田辺君は当時野球部だったのですが、今でもこうして仲良くやっています。

松原 卒業後は長崎に行ったんだっけ?

田辺 いや、最初は箱根の富士屋ホテルに板前として就職して、2年間働いたところで異動の話が出たので転職することにして、伊東の干物の加工会社に就職したんだよ。

松原 伊東は地元だったよね?

田辺 そう、地元。そこで4年働いたあと、九州に新しく工場をつくるというので、長崎に行ってその立ち上げに参加したんだよ。

松原 そうだったんだ。長崎では何年?

田辺 長崎は1年かな。それで26歳の時に、今度は水産会社に就職したんだよ。そこでは魚とか冷凍食品をホテルなんかに納める仕事をして、5年間働いた後に独立して、今に至るっていう流れかな。

松原 なんで魚屋(水産会社)だったの?

田辺 高校を卒業する時に、学校の就職活動室だったかな、そういう部屋があって、そこで「富士屋ホテルというところの求人があるんだけど、受けてみないか」と言われて、それで包丁を持つ仕事を始めたんだよね。それから今までずっと包丁を持つ仕事を続けてきた。きっかけは本当に「これ、一点買いだよ」ってその時先生に言われた、それだけだったんだよね。自分が板前になるとか、そういうことは一切考えていなかった。

松原 それはそうだよね。それまではずっと野球やってきたんだから。それが、いきなり包丁を持つ仕事になったわけなんだね。

田辺 そうそう。板前として働いたのは2年だったけど、そのあと干物の加工会社に呼ばれて、そのあとまた今度は水産会社に呼ばれて、というふうに仕事をしてきただけ。

松原 やっぱりちょっとしたきっかけなんだね。

田辺 そうだね。それで、たまたま富士屋ホテルに板前として入ったら、そこの親方が伊東の人だったんだよ。それで親方が「やってみないか」と誘ってくれたという流れだから、もし親方が伊東の人じゃなかったら行ってなかったかもしれないし、まあ、きっかけだよね。

松原 なるほど。そういうきっかけで魚屋(水産会社)を始めたわけだけど、最近は別の分野でテレビの取材もよく受けているよね? 例えば、僕も行ったことがあるけれど、伊東でやっているとても美味しいフレンチレストラン。それから同じ伊東で、和食の店もスタートしたよね。それから三島では『ジェントル麺』というラーメン屋。何か変な名前をつけてるんだけど(笑)、お客さんはいっぱい入ってるんだよね。

田辺 そうそう(笑)。

松原 いやいや、もちろん味も美味しいんだけど。だからつまり、そういう才能に長けてるんだね。

田辺 才能に長けてるっていうか、最初、ラーメン屋をやる時は、自分にやる気があったというよりも、そういう話が来たんだよ。そういう意味では、才能というより人との繋がりということなのかもしれないけどね。それで、そこは経営状況もよかったので、じゃあ買い取りましょうということになって。それで、次のフレンチの店も、あるホテルの料理長に、こういう若い料理人たちがいるんだけど使ってもらえないかと頼まれて、その時にたまたま、知人からいい物件があると紹介されてね。その物件のオーナーも知り合いで、さらにその料理長もそのオーナーと以前一緒に仕事をしたことがある、というようなことが重なって、そういうことなら是非っていう話になったんだよ。それで、今回6月から始めることになった和食の店も、これもまた頼まれてね。6月1日でレストランの今のオーナーが辞めるからそれを引き継ぐという話で、最高と言っていい条件だったし、僕がやってマイナスになることはないだろうと思ったんだ。自分で水産会社をやっているから、食材を安く仕入れることもできるしね。何より和食は、僕の夢だったから。6月7日にオープンする予定だよ。


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