松原良香コラム mano a mano
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松原良香コラム mano a mano

松原良香コラム mano a mano

第14回 下山和大さんB

下山和大さん
松原 前回と今回、優勝して世界一になってみて、違いはありますか?

下山 全然違いますね。17歳で優勝したときは、とにかく泣くほど嬉しいという感じでした。それだけを夢にやってきたので。でも今回は何というか、前回の優勝からいろいろな経験をしてきて、演技での表現というのは、やっぱり自分がやってきたことが滲み出るものだと思うので、同じ優勝でも重みがありました。自分が培ってきたバックグラウンドが評価してもらえたというのは、感慨深かったですね。嬉しさと驚きがあったのと同時に、すごく考えさせられました。競技としての一輪車をもっと普及させて、いつかオリンピックの種目にしたいという大きな夢があるんですけど、その思いがもっとより強くなりましたね。それで、以前から一輪車協会に入ってくれないかと誘われていて、ずっと保留にしていたんですけど、自分にできることがあればと思って、この春、優勝した後に入りました。

松原 なるほど、今回の優勝が大きなきっかけになったわけですね。それにしても世界一になるというのは大変なことですが、2回も優勝することができたのはなぜだと思いますか?

下山 そうですね、一輪車をやるときは、常に小さい目標を立てるようにしていて、それを継続して大きな目標につなげていくことにしています。一輪車に乗り始めた頃は、体育館の半分まで行けるようになりたいというのが最初の目標でした。そしてそれができたら向こう側まで、その次は体育館一周、というふうにつなげていく。それがやがて世界大会で優勝するという目標につながって、17歳のときに実現することができた。その後、現役を離れて子供たちを指導して、一輪車を広めようということになっていくなかで、教えている子供たちから、今度は一緒にイタリアに行くという機会を与えてもらえました。そうなったときに、現役は離れていましたが、指導やショーがあって一輪車から離れたことはなかったので、出場に向けて本格的な練習をしたときに、今まで継続してきたものが優勝というかたちになってくれたのだと思います。

松原 その、諦めずに続けてこられた、継続するためのモチベーションは、どのように維持されてるんですか?

下山 たぶん、悔しさがいちばん大きいと思います。一輪車という競技は本当に知られていないので、たとえサッカーや野球の選手と変わらないくらいの練習量をやっていたとしても、注目される場がないんですよね。

松原 どれくらい練習していたんですか?

下山 大会の前は土日も毎日、6時間から8時間くらい練習していました。

松原 それはかなりの練習量ですね。

下山 それだけやっても、部活動ではないので学校では表彰されなかった。全日本大会で優勝しても何もなくて、それに対する悔しさはすごくありました。同じ優勝なのに、サッカーや水泳は、市の大会で優勝したら全校生徒の前で表彰してもらっていたので。一輪車は何でそういう扱いなのか、最初はわからなかったんですよね。後で気づいて、たぶん負けず嫌いだからだと思いますけど、それが悔しくて続けてきたという部分もあると思います。世界一になるという目標もありましたけど、一輪車をもっと世に広めていきたいということは、子供ながらに考えていました。

松原 なるほど。当時、ライバルはいたんですか?

下山 はい、いました。ペアは男女関係ないので 女の子で1人、同じ学年にすごく上手な子がいて。大会でしか会わないんですけど、絶対負けたくないと思って練習してました。その子が3回転まわったら僕は4回転まわれるように、と思って練習していましたね。

松原 試合では、お互いに勝ったり負けたりしていた関係ですか?

下山 はい。そして、そういう結果がまた次につながっていくので、やっぱりライバルがいるというのは大切ですよね。

松原 一輪車やっててよかったと思うことは何ですか?

下山 そうですね、マイナーな競技ならではの辛いこともたくさんあるんですけど、マイナーで、めずらしいからこそ注目してくれる人もなかにはいるので、シルク・ド・ソレイユに3回ほどスペシャルイベントで出場させてもらえたりというような、ふつうではなかなか経験できないことを経験させてもらったことですね。ほかにも、これは優勝できたからということだと思いますが、国内外のいろいろなところに指導に行かせてもらえるのも、やっててよかったと思うことです。あとは、頑張れば絶対結果が出る、と諦めずに続けてきたことで培われてきた、精神力も財産かなと思います。

松原 今は、一輪車協会でも仕事されているんですよね?

下山 はい。いろいろ大変なこともありますが。

松原 役職はあるんですか?

下山 事務局次長です。

松原 事務局次長というのは、どういう仕事をされるんですか?

下山 日本一輪車協会が運営している全日本大会の企画運営、具体的には会場を抑えに行ったりとかですけど、あとは、文科省の文部科学大臣杯という冠がついている大会があるんで、その申請願を出したり、そういう裏方の仕事が多いです。

松原 現役時代と比べてどうですか?

下山 いやあもう、こんなに大変なことをされてたんだなと。選手の時はもちろんただ試合に出ていただけだったので、運営する側に入って、今は入りたてなので必死に覚えている段階です。でも、こうしたほうがもっと盛り上がるのではと思っていた、選手ならではの意見も取り入れてもらえるので、入ってよかったなと思います。まだまだ変えていきたいところがたくさんあるので。

松原 協会は何人くらいいらっしゃるんですか?

下山 今、常任は3人しかいないんです。常務理事と事務局長と僕ですね。あとは非常任の、理事会にだけ出てくださる理事の方とか、そういう方はいらっしゃるんですけど、運営などをやっているのは基本的にその3人です。

松原 それは、苦労もかなりあるでしょうね。

下山 そうですね。あと、空いてる時間は頼まれてクラブチームの指導に行ってるので、まあ、年がら年中、一輪車には乗ってます(笑)

松原 でも、それは幸せですよね。自分の好きな一輪車で数少ないプロになれて、引退後も一輪車で生活できるというのは。

下山 はい、そう思います。

松原 サッカーは確かに世界的なメジャースポーツですけど、引退後もサッカーで食べられる人というのはほんの一握りです。現役の選手もコーチも契約の世界ですから、だめだと判断されたらそこまでだし、日本代表経験者でも同じです。厳しい世界ですよ。

下山 そうなんですね。メジャーな競技は、ある程度の知名度がある人は、生活に不安はなく過ごせるのかと思っていました。

松原 そうではないですね。メジャーということは競技人口がとても多いから、すごくライバルも多い。監督やコーチの数は決まっているし、例えば試合の解説も、今は基本的に2人です。例えば、松木さんと中山さんとかね。最近はそれまで局のアナウンサーがやっていたピッチ解説で名波さんなどが起用されているので3人の場合も多いですが、その3人の枠に、今いるサッカー解説者が入るというのも非常に大変なことで、今後いつかは、そこに小野伸二や中村俊輔、今の代表の長友や本田も入ってくるかもしれない。分母と分子がなかなか釣り合わない。サッカーもなかなか大変ですよ。

下山 選手を引退されて、監督やコーチにならない方は、どういうことをされるんですか?

松原 さまざまですね。確かにJリーグでも、監督やコーチ以外にスカウトや広報というような仕事もあります。サッカーに関係しているとすれば、地域のサッカースクールに入る場合もありますが、あとはもう、まったくサッカーとは接点のない一般企業に普通に会社員として勤める人もいれば、飲食業や不動産に進む人もいます。生きていかなければいけないですからね。

下山 そうですね。でも、それでも選択肢は一輪車に比べると結構あるように感じます。競技人口がまったく違うので、一概には言えないと思い生ますが。ただ、一輪車の場合は子供のスポーツという認識がかなり強くて、僕みたいにプロになるまで続ける人はほとんどいないんです。大学まで続けたらかなりいいほうで、だいたいは高校でやめてしまう。その先がやっぱりないからなんです。コーチだけで食べていける環境があるわけでもなければ、協会にも何人も入れない。一輪車に関係する仕事がないんですね。だから結局、親も続けさせたがらない。一輪車をやってても将来につながらないから、どこかでやめてしまうんです。

松原 そこは土壌と仕組みの問題ですね。プロスポーツにはお金、つまりスポンサーが不可欠で、だから、スポンサーを獲得する作業も非常に重要な仕事になります。あと、例えば日本サッカー協会でいうと、登録費というのがかなり大きい。日本のサッカーの試合に出るには、日本サッカー協会に登録しなければいけないんです。個人登録やチーム登録など、いろいろな分類がありますが、それがもう何十万件という数なので、それによって維持できているんですね。

下山 日本一輪車協会の場合にも一応、1人2000円という会員登録料はあるんです。以前、社団法人だった時は協会の会員でなければ協会主催の試合には出場できないという規則もありました。でも、公益社団法人になって、そういう決まりは作ってはいけないということになって、今は会員にならなくても大会に出場できるんです。だから、一輪車をやっている人はいても、会員になる人がいない、会員が増えない、増えなければ協会にお金が入ってこないという状況なんです。

松原 公益ですからね。ただ、Jリーグもそうでしたけど、選手が活躍するためには組織がとても大事で、その軸となる、会長とその下の協会幹部の人たちがどう考えてどこを目指すのか、結局はそこですよね。広げるためのルールというものを考えてしっかり整備していかないと、やっぱり広がっていくのは難しい。では最後に、そういった点も踏まえて今の夢というか目標を教えていただけますか? 何に向かって今、やられているのかを。

下山 最終目標はやはり、一輪車をオリンピックの種目にするということなんですけど、それはまだ先のことなので、そのためにはまず、競技人口を増やさなければいけません。一般の方たちにもっと認知してもらうということ、普及させていくということですね。そしてそのために不可欠なのは、ルールの一本化だと思っています。現在はルールが本当にもうさまざまで、大会ごとに違うような感じなので、ちゃんとした競技スポーツとして認めてもらえるように、なるべく早くしっかりとしたものを決めるということが、今の目標です。

松原 協会に入られてまだ間もないですけど、どうですか、手応えは。

下山 いやあ、まだ全然程遠いですね。統一されていないとはいえ昔からあるルールですし、僕もお世話になった、運営に携わってこられた方々の意見もあるので、簡単にはいかないと思います。でも、少しずつ変えていけたらそれでいいと思っています。自分が生きてるうちにオリンピック種目にはできなかったとしても、その道筋をもうちょっとでというところまでつけて、次の方につなげられたらそれでいいです。最終的に、いつの日かオリンピックで一輪車が競技として認められれば、それで。

松原 なるほど、わかりました。強い気持ちが伝わってきました。今日はありがとうございました。


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