松原良香コラム mano a mano
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松原良香コラム mano a mano

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第16回 柳澤修さんA(元インテル株式会社CFO)

柳澤修さん
松原 そもそも、柳澤さんとは知人を介して知り合いになったわけですが、その会が「ターンアラウンド」なんですよね。あれから3年経ったわけですが、こうして今、柳澤さんがアクションを起こし企業されて、僕は正直ワクワクしているんですよ、これからの柳澤さんに。柳澤さんもじっくりいろいろと見て考えてきて、そして今こうやってお互いに接点が合ったのだなと思うと感慨深い。今の気持ちはどうですか?

柳澤 そうですね、自分でも正直わからないというか、未知数なところはあります。会社の名前もオデッセイで、旅という意味ですよね。これは目的地があるかないかより「旅に出る」という行動が大事ということでもあるんです。今まで、結果重視というより、プロセス重視でやってきたのですが、そのスタンスはずっと変わっていません。

松原 結果よりプロセスという考え方なんですね。

柳澤 はい。なので、自分が旅した道程を後に俯瞰した時に、それほど大きなことはできていなかったとしても、今までの経験を活かし少しでも針を前に動かせたと思えたらいいかなと思っています。今回、漠然とした理念で会社を辞め、会社を立ち上げているので、自分でも実を言うと、10年後、20年後の旅の先に何が待っているのかはわからない。それは現時点で将来像がはっきり見えていないということにもなるのかもしれませんし、もちろんやる以上はちゃんとした結果を残したいという気持ちはありますが、もともとプロセスを楽しめるタイプなので、先のことはそこまで気にはしていません。今は段階として、とりあえず始めた、ということが重要だと思っています。

松原 なるほど。理念という点では、フェリーチェにも「幸せな世界を作っていく」というものがあります。フェリーチェの場合はサッカーを通じてということになりますが、サッカーに軸足を置いて見たとき、重要なテーマのひとつに、やっぱり「語学」があるんですよね。柳澤さんは英語が堪能で、スペイン語も話しますし、日本語はまあまあですけどって、それはちがいますね(笑)。

柳澤 いえ、実際よく言われるんですよ。日本語がいちばんうまくなったなって(笑)。

松原 そうなんですか(笑)。でも、実に面白い経歴をお持ちなんですよね。ブラジルで生まれて、その後日本で育って。

柳澤 そうですね。その後、カナダに行って、次に大学でアメリカに行って、さらに大学でまた留学したいと思って、スペインに行きました。アメリカの大学の時点ですでに留学していたので、親には「留学」が「誘惑」に変わったと言われましたが(笑)。自分としては、大学というのは人生のなかのタイミングとして、いろんなことを経験する、今までできなかったことをやる、というのが自分の考えにあったので、それで異文化に触れたいと思ってスペインに行ったんです。語学もそうですけど、異なる文化に触れる、というのは重要だと思ったんですね。言葉も生活習慣も、行ったからこそ感じるもの、行かないと感じられないものというのが、やっぱりあると思うんですよね。

松原 そうですね、ありますね。

柳澤 ヨシカさんも、高校を卒業した後、Jリーグに行かずに、あえて海外に行ったじゃないですか。立場が逆になっちゃいますが(笑)、その気持ちっていうのはどうだったんですか?

松原 逆になっちゃいましたね(笑)。

柳澤 何か似た感じがあったように思うんですよね。勝手な想像かもしれませんが。

松原 今思うと、やっぱり行くべくして行ったという感じはありますね。当時はワールドユースでも負けましたし、世界になかなか出られなかったんですよ。そういう状況の中で、これをどうにかするためには、海外に出て経験しないとだめだということが身に沁みてわかっていたので。僕らの頃って、U-17でも一次予選で負けちゃうくらい弱かったんですよ。でもそのメンバーというのは川口能活も城も、松波もいたし、みんないたんですね。

柳澤 黄金時代ですね。

松原 それでも勝てないんですよね。だから、やっぱり経験が大事なんだと思って、その想いのままウルグアイにパッと行っちゃいました。そう考えると、経験という意味では柳澤さんと同じ感じですね。でもその後に、アトランタでああやってブラジルに勝っちゃったりもしたし、あの決断は間違っていなかったなと。

柳澤 そうやって世界があるということを知っていて、行けのであればチャレンジしたいっていう気持ちがある人は、行くことによって必ず違った世界観をもつことができるし、そこに語学が付随し、表現する力がつき、そういったことが繋がって連続的に起こるのかなという感じがします。他の世界を見たい、新しいことにチャレンジしてみたいという好奇心と、それを実行する行動力が重要なのかなと。

松原 好奇心と行動力はキーワードですね。 話は変わりますが柳澤さんはどこの国が好きですか?

柳澤 ううん、難しい質問ですね。

松原 じゃあ、住むとしたら?

柳澤 住むということで言うなら、やっぱり何だかんだ言って最終的には、日本がいいですね。スペインにいたときも食文化も含めて文化や歴史があってとても楽しかったし、アメリカも十何年住んでいたので暮らしていて違和感はないですけども、やっぱり日本ですね。

松原 アメリカはどちらにお住まいでしたっけ?

柳澤 長くいたのはシカゴと、コネチカットなんですけど、また住みたいかっていうと、住みたくはないんですよね。

松原 それはどうしてですか?

柳澤 そうですね、行ったら行ったで「帰ってきたな」という気分にはすごくなるんですけども、年齢とともに、やっぱり自分は日本人なんだ、というのが強くなってきているのかもしれません。そういった中で今考えているのは、日本から海外に発信していこうということです。海外から日本を発信するという方法もあるかもしれないですけど、何となく、アメリカにいても自分のやりたいことがそこまでできないんじゃないかなというのがあるので。生活するという点では長く暮らしていたので楽ですけど、事を成すということを考えると、なかなかアメリカではできないんじゃないかなという感覚があります。

松原 ブラジルはいかがですか?

柳澤 ブラジルは、行きたいですね(笑)。

松原 やはり行きたいですか。たしか以前、ペレのサッカースクールを受ける予定が、ペレがドタキャンをして出来なかったんですよね(笑)。

柳澤 そうなんですよ(笑)。かなりショックでした。サッカースクールが1週間あって、毎晩ペレのいろんな試合を見てみんなで盛り上がっていたんですが、いよいよ最終日に来るかと思いきや来なかったという。

松原 今でも柳澤さんには「ヨシカさん、ペレに会う機会があったら会わせてくれないか」って言われるんですけど、なかなかそういう機会がなくて。

柳澤 うちに、自分が小さい頃に買ってもらった、ペレが1000ゴールした時の記念切手があったんですよ。それにサインしてもらいたかったんですよね。

松原 おお、それを持ってるっていうのはすごいですね。1000ゴールの記念切手ですか。

柳澤 海外には持っている人が結構多いみたいなんで、価値っていう意味ではあまりないかもしれないんですけれども、個人的な思い入れもあったので。それで大事に持っていたものを、サインしてもらおうと思ってまた大事に持っていって、結局来なかったという(笑)。

松原 それは何歳の時ですか?

柳澤 14歳くらいですね。そのあと立て続けにベッケンバウアーが来て、そのときはベッケンバウアーに握手をしてもらって、ボールにもシャツにも全部サインしてもらったんですけど、何となく気持ちがいまいち盛り上がらなかったんですよね。もちろん素晴らしい選手だということはわかっているし、会いに行きたい気持ちもあったんですが、何というか、自分の中ではペレがあってのベッケンバウアーだったので。でも、肩をがっちり組んで、写真を撮ってもらいました(笑)。

松原 でも、やっぱりペレには来てもらいたかったですね。

柳澤 来てほしかったですね。でも、今年はワールドカップもあるので、ぜひブラジルにはまた、行きたいなと思っています。

松原 僕もブラジルは好きですね。

柳澤 いいですよね、2月にはカーニバルがありますし。

松原 カーニバルって、ブラジル人にとっては本当に特別なものですよね。サッカー選手も本当に帰っちゃいますからね。練習や試合もあるのに、何かしら理由つけて帰っちゃう。思い入れが全然ちがうみたいですね。あれはもうしょうがないですよね。

柳澤 そうですね。


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